「消費者」から「使い手」へ変わるとき

朝のブログの続きのようなことですが、
ちょっと思うことがあったので書きますね。

「作り手の思いを感じると、
そのモノに対して愛着が湧く」
と書きましたが、
それだけではないような気がして
もう少し、考えてみました。

モノに対して愛情を持てるかどうか、は
「自分自身が、どんな場所で、
どんなふうにモノと出会い、手に入れたか」
という「使い手側の物語」に左右される部分も
かなり大きいような気がするのです。

たとえば、いつも行くコンビニで
棚に並んでいる商品を手に取り、
レジに持っていって、無言のまま買う、
という行為は、自分の中に、なんの物語も残しません。

でも、目的を持って出かけた先で、作り手と出会い、
会話をしながらモノとの距離をちぢめ、
その結果、手に入れたモノには
「自分だけの物語」が刻み込まれます。

そんなふうに、固有の体験をして手に入れることで、
「モノを消費する者」ではなく
「モノの使い手」になるんじゃないか…
と、そう感じるのです。

なんだか、まわりくどくしか書けないのですが、
言いたいこと、伝わりますか?

自分の物語が刻まれたモノは、
単なる「物体」を超えた、
「思い出」や「記憶」のようなもの。
作り手の思いと、自分自身の記憶。
そのふたつが宿っているからこそ、
大事に使っていこうと思えるんじゃないかなぁ。

…なんて、そんなふうに思った昼下がりです。

ちなみにわたしは消費する、という考え方、
「消費者」という言葉がとても嫌いです。
「消費する」というスタンスではなく
「使う」「使い手」というスタンスで、モノと接していたい。
と、いつも、そう思っています。


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