私のふるさとは、地方という所にあった

私のふるさとは
地方、という所にあった。
私の暮らしは
首都の片隅にある。
ふるさとの人は山に木を植えた。
木は四十年も五十年もかかって
やっと用材になった。


もし現在の私のちからの中に
少しでも周囲の役に立つものがあるとすれば
それは私の植えた苗ではない。
ちいさな杉林
ちいさな檜林。

地方には
自然と共に成り立つ生業があったけれど
首都には売り買いの市場があるばかり。
市場ばかりが繁栄する。
人間のふるさとは
地方、という美しいところにあった。


石垣りんさんの「地方」という詩が好きです。
杉や檜の植林に関してはいろいろと思うところがありますが…
(単一林の弊害の大きさを知ってしまうと、
雑木林の豊かさを取り戻したい、と強く思います)

「地方には
自然と共に成り立つ生業があったけれど
首都には売り買いの市場があるばかり」
という部分に深く頷きます。
以前は、なんとなく「そうだなぁ」
くらいの気持ちで読んでいたのですが、
いまは、しみじみ、その意味がわかってきて。

土地と深く結びついて
自然と共生しながら働くことは、
ただ売り買いの市場を繁茂させることとは違い、
次の世代へと続く、命の連鎖を
育て、申し送りしてゆくことだと
そんなふうに感じています。

売り買いの市場ばかりが発達すると
消費を繰り返すだけの経済になって
売り買いの裏にある、
命の連鎖に気づかなくなり、
人は、どんどん感覚を鈍らせてしまいます。

豊かさは、消費を拡大させることじゃなく
命を育て、申し送りしていく暮らしの中にあると
本当はもう、みんな気づいているのではないでしょうか。

経済成長だけを豊かさの指標にした時代はもう過去のもの。
そこで犠牲にした、本当に大切なものを取り戻すことが
次の世代に対する、わたしたちの責任、
のような気がします。


コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック